2023年09月26日

島田近代遺産学会 秋の講座第2回

9月23日は、学会代表 新間雅巳さん十八番「海軍技術研究所」編
今回もたくさん受講して下さいました。


その中に、秋の講座(第1回)の講師をつとめて下さった、佐野陽子さんも受講に来て下さいました。

新間さんは何といっても"海軍技研島田実験所フリーク"ですから、解説、説明は堂に入ったもの……


熱心に質問される受講生の方
答はえる新間代表

さて、次回は10月7日は、佐野貢さんによる"海軍技術研究所の技術DNA"を引き継いだ「島田理化工業」についての講座です。ご期待ください❢
  


Posted by 4代目 マナビィしまだ  at 12:35Comments(0)

2023年09月26日

モチーフはこれかな?


これは竹?……ずいぶん前に観葉植物で流行した"幸福の木"のような?
そして、これをモチーフにした?というよりその物かもしれません。それがこれ何です
今回の作品は、リメイク講座の坂本先生の作品です。

暑さ寒さ……じゃないですが、彼岸を迎えてからあの焦げるような灼熱感もやっと遠ざかって行くようなここ二、三日……
さすがそれを見越しての、チョッと秋咸を感ずる色合いを取り入れたワンピース……
坂本先生今回も有難うございます。  


Posted by 4代目 マナビィしまだ  at 10:55Comments(0)

2023年09月18日

だいぶ間があいてしまいました。

佐野陽子さん&藤枝北高演劇部講座のPART2です❢
ここからは、8歳にして戦後1人中国に置いてきぼりにされ過酷な運命を背負わされた少女の生き様を、ご本人の口から語って頂く講座でした。
1945年4月中国に渡った佐野さん一家……渡ったのは現在中国の東北区(旧満州国)で「舒楽鎮(ジョラクチン)」という所だったそうです。
地図上部赤ペンで地名記入。

日本は、佐野さんが渡られた4か月後には敗戦、そこから混乱が始まります。北からソビエト連邦(現ロシア共和国)が侵攻し、日本人(開拓民・少年義勇軍・一般人)の逃避行がはじまります。その混乱の中で、お父様はシベリアに抑留され、お母様はソ連の飛行機の攻撃で命を落とされ、一番下の妹さんは病気に斃れられ、残された三姉妹でさらに逃避している中で、一番下の佐野さん1人、日本人の言葉巧みな誘いに中国人夫婦に養女と売られてしまったのだそうです。

後で知った(中国人夫婦との裁判で)のは500ルーブル(ソ連貨幣)で売られたそうです。当時の日本円で100万円だったとか……与えられた中国名は「宋淑琴」だったそうです。
養父母の過酷な労働強制の中を、それでも佐野さんは『学校に行かせて欲しい』と懇願し続けたそうです。

佐野さんのお話に耳を傾ける受講者の方々
約10年、佐野さんは養父母の許から逃げ出し、1人、中国の裁判所に駆け込み、養父母を被告に裁判を闘い日本人を取り戻したのだそうです。
苦しかった養父母の許での毎日、自死寸前まで追い詰められた少女の日常は想像だに出来ませんが、戦争というものは普通の人々に、とてつもない現実を背負わせてしまう事だけは間違いないと……。

1956年、中国で出会った満蒙開青少年義勇軍の青年佐野秀夫氏(島田市伊太出身)と結婚され、その後、すでに帰国されたいたお父様の手紙が届き、佐野さんは「宋淑琴」の十余年を綴って日本に送ったそうです。
1958年6月、ついに佐野さんご夫婦は帰国されましたが、戸籍を取り戻す手続き(家庭裁判所)に戸惑ったため、娘さんの出生届が出せなかった(出生1週間以内に届け出義務)事から、裁判所から課せられたのは【罰金】だった。

お年は87歳、矍鑠とされている佐野さん、皆さんからの要望さえあれば何処へでも出かけ、戦争の悲惨さ過酷さ残酷さを多くの方々へ伝える『語り部』となるとおっしゃっておいででした。

こちら
現代中国画家「王 希奇」氏です。1960年、中国生まれの方で、一枚の写真に出会い衝撃を受け描いたのが『一九四六』という巨大な絵画、この絵は日本に帰ろうとする人々(引揚者)をほぼ等身大で描かれています。横20m縦3m


首から骨壺を下げ、一様に無言の隊列、ここは山東半島の付け根あたりに位置する葫蘆島(ころとう)だそうです。ここから引揚船に乗り込んだ日本人の集団は、何が待つか分からない敗戦の祖国の帰途についたようです。
こんな日が二度と来ない事を改めて思った、佐野さん&北高演劇部講座でした。
  


Posted by 4代目 マナビィしまだ  at 15:34Comments(0)

2023年09月11日

佐野陽子さん&藤枝北高演劇部講座PART1

今回の島田近代遺産学会講座は、佐野陽子さんと藤枝北高校演劇部の朗読劇講座でした。
伊太在住の佐野陽子さん(京都出身)

北高演劇部の皆さんです

今日の講座は、満蒙開拓団として1945年の4月に現在の中国東北区(旧満州国=日本が強引に建国した国)に行かれ、日本の敗戦後筆舌に尽くしがたい運命を背負わされた佐野陽子さん、その佐野さんのストーリーではないヒストリーを朗読劇に起こされた藤枝北高校演劇部の皆さんによる講座でした。

さらに、島田樟誠高等学校の演劇部の皆さんも友情応援に駆けつけて、講座の準備等々に協力してくれました。

この講座の企画に奔走して下さった、島田樟誠高校の小林先生から講師佐野さんと北高演劇部紹介で始まりました。
なお、小林さんの左手は、北高演劇部顧問の小長谷清乃先生です。

【藤枝北高校演劇部 朗読劇】


小長谷先生が、プロジェクターを使って朗読劇にさらに重層性をサポートされ、生徒の言葉の一言ひとことが響き染みていきます。
北高、生徒さんの迫真の朗読劇に、受講された方々も一層、満蒙開拓の実相に触れられたのではないかと思います。
今日のブログアップpart1はここまでとして、次回part2は佐野さんの講座を中心にお届けします。  


Posted by 4代目 マナビィしまだ  at 19:44Comments(0)